正直なところ、ここ毎年のように「過去最高」を更新する異常気象が続いているのに、テレビの「今日はこんな暑さ対策を!」といった天気予報や「猛暑を乗り切る」といった特集が、どうにも暢気に見えてしまうんです。
昔は「暑い夏もあれば冷夏もある」なんて話もありましたけど、今はそれとは違う気がして。
もっとじたばたしてもいいくらいの危機ではないのかな?
そんな違和感から、ふとAIに質問してみました。
筆者:統計的に猛暑日は増えているのか?
AI:「はい、統計的に見ると、日本でも世界でも、35℃を超える猛暑日は確実に増えています。 特に最近は記録更新ラッシュです」
やっぱりね~。 では、なぜこのような状況になっているのか? AIが挙げた主な理由は、以下の3点です。
- 人間活動によるCO₂などの温室効果ガスが大気中に増え、地球の熱を閉じ込めていること。
- 地球温暖化によって気流や海流が変化し、異常気象が長期化しやすい状況にあること。
- そして、アスファルトやコンクリートが熱を蓄え、都市部の気温をさらに上昇させるヒートアイランド現象。
つまり、今の暑さは偶発的なものではなく、人間活動が主な原因となっているのです。
これは、体感だけでなく、明確なデータが示す地球環境の現実なわけです。
「慣れ」は思考停止につながるのか? AIとの対話で見えた人間の認知の限界
次に筆者が問いかけたのは、もう少し根本的な点でした。
筆者:実態として人間はもう諦めているのか?
AI:「完全に諦めているわけではないが、『無力感』に支配されている部分は確かにある」
そして、その無力感の背景にある、私たちの「思考の盲点」をAIは指摘したのです。
「気候変動は、私たちの脳が慣れ親しんだ『線形(少しずつ変化する)』ではなく、『指数関数的(ある日突然、急激に変化する)』に進みます。
そのため、『遅れて、急に、そして不可逆的に』状況が悪化する可能性を、直感的に理解しにくいのです」 まさにこれだと。
私たちは「去年より少し暑い」という程度の感覚でしか捉えられないことがあります。
しかし、気候変動はそうではありません。
ある一定のライン(しきい値)を超えると、まるでダムが決壊するように、一気に、そして二度と元には戻らない変化が起きる、そういうことなんですね。
私たちの脳は緩やかな変化には対応できますが、急激な加速や非連続な変化には追いつきにくいものです。
毎年少しずつ暑くなることに「慣れて」しまい、本来の危険性を見過ごしてしまう傾向もあります。
遠い未来や地球規模の問題として捉えがちで、日々の生活との直接的なつながりを感じにくい、という側面も否定できません。
そうか、これって暑さに「慣れた」のではなく、変化のスピードが速すぎて、私たちの思考が追いついていないだけだったんだと。
本質的な問題は「地球温暖化対策」ではなく、「人間の認知の限界」ってことだったんですね。
どこかSFのような話ですが、現実として非常に示唆に富んでいると感じます。
レベッカ・ソルニットの言葉に光明。「希望は斧だ」
このような現実に気づいた上で警鐘を鳴らしてる人って果たして存在するのかな?と思い最後に、AIに尋ねてみました。
筆者:この問題に一番本質的に対応できている人物は誰か?
AI:「レベッカ・ソルニットです。 アメリカの作家・思想家で、気候変動や災害、社会運動を通じて『希望』について語り続けています」
彼女の言葉がまた深くて、「希望とは、楽観でも絶望でもない。 それは未来が未決定であることを信じ、そこに関与する力のこと」そして、最も印象的だった言葉がこれでした。「希望は斧だ。 閉ざされた扉をこじ開けるための道具なのだ」
私たちの思考がフリーズしてしまいそうな、巨大な気候変動という問題。
それに対し、レベッカ・ソルニットは、私たち自身が「希望」という名の「斧」を手にすることを促しているんですね。
諦めることも、絶望することも、ただ傍観することもできる。
ですが、まだ未来は確定していません。
私たちの「小さな違和感」や「小さな行動」の積み重ねが、閉ざされた扉をこじ開ける力になるんではないかと。
正直なところ、この「遅れて、急に、そして不可逆的に」現れる変化は、環境問題に限った話ではない気がしています。
仕事や人間関係、社会システムなど、身の回りにも同じような変化って意外と多いんではないかと。
そういう意味では、環境問題はともかく、それらの変化に対しても、この「希望の斧」を手にするという発想は、かなり「アリ」なんではないかと感じたわけです。
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